August 12, 2009

感覚

「楽しそう」とか、「可愛そう」って言葉、結構よく耳にするけど
実はその心、殆ど何も感じてないって気がついちゃった
自分でもよく言ってるけど、なんて客観的な言葉なんだろうって…

「〜そう」 っていうのは想像どまりで、感覚はほとんど伴わない

だから他人の不運に可愛そうなんて言ってる時点では、まだまだその痛みを分かってないし
楽しそうだね!なんて言いながらも胸の拍動はちっとも変わってなかったりする

想像しただけでも楽しくてワクワクしたり、
相手の痛みを苦しいと感じた時には言葉なんていらないんだろうね

言葉に頼りすぎのコミュニケーションの中で
どんどん感覚を奪われていく…


私達は、大人しくて目立たない方がいいなんていう空気の中で育ってしまうから
いつの間にか体で笑って 体で怒るという感覚を失ってしまう

それは東洋医学では気の巡りがなくなってしまう状態で、
発散されるべき ‘気’ は体内に溜まって何か悪いものになってしまうし、
笑うことでみなぎる ‘気’ によって血の流れが活発になるチャンスを逃してしまう

体(感覚)と心が分離すると、同時に生きる活力も失って
生きる本来の目的や意志までどっかにいってしまうんだと思う



まぁとにかく、最近心から笑って泣いて怒ってないって人は
自分の体をもっともっと感じてみてほしい

今は眠っている感覚でも、焦らず耳を澄ませば必ず戻ってくるから