August 25, 2007

瞑想の日々

初日の午後5時の鐘を合図に沈黙の時間が始まる。
朝4時に起きて2時間瞑想。
朝ごはんを食べて3時間瞑想。
昼ごはんを食べて昼寝と入浴して、午後は4時間の瞑想。
夕ご飯はなく、フルーツとミルクティーを飲んでまた1時間瞑想。
その後2時間ほど講話を聞いて夜9時にはベッドになだれ込む。
そしてそのベッドは板の様に硬く、
睡眠中も感覚を感じ続けるというもの。
本を読んだり歌を歌ったり日記を書くことも許されず、
一切の思考を遮断された。

瞑想って、ただ座ってじっとしてるだけでいいのかな。
こんな軽いのりで行ったのが甘かった。
毎日自分との戦い、それもたった一人で。

August 13, 2007




風のように自由であることに憧れていた。

風になってみると、
根を張って風に吹かれている木が
本来のあるべき姿だと知った。

与えられた環境で、いかに自分の信念を貫けるかが
ホントは一番大事なことだったんだ。

でも旅は、一生続けると思うよ。
出会えたひとりひとりが、私の一部になっていくから。
海を渡って分かったことも沢山あるし、
一番大切なことが浮き彫りになるのは
いつも遠い空の下だったから。



VIPASSANA
    = seeing things as they really are

ものごとをありのままに見るという意味を持つヴィパッサナーは、
古代からインドに伝わる瞑想法のひとつ。
一度は失われたこのメソッド、2500年前に仏陀によって再発見されたのだそう。

自分自身を見つめることで心の浄化を促すことを目的としている。
自然な呼吸をしながら、内側にあるものに集中していくと
心の奥にあった苦痛や恐れ、そしてエゴイズム等の根っこの部分が開放され
自然なあるがままの健康な心をとり戻していくのだそう。

瞑想期間中は、菜食主義。
一切のコミュニケーションが禁止される。
BUDDHISMだからか、生き物を殺すことも許されない。
朝は4時に起床、夜9時半の就寝まで一日中瞑想に耽るというもの。

瞑想が終わると体中にエネルギーが漲り、心がとてもクリアで強くなるという。
そして、周りの人からまるで別人になったかのように顔が変わったって言われるらしい。

まぁ、先入観は置いておいて
明日からあるがままの自分を受け止めてこようと思っています。

August 12, 2007




ネパールのリアル

日本でネパールを旅した事のある友達も、
ネパールから渡って来た旅人も、
みんな、この国をいいと言っていた。

BUT I DONT FEEL HERE.

正直、この国をいいってまだ思えてこない。
カトマンズの人々の人懐っこさは、虚像に思える。
私がこの国にお金を落としていくから、近寄ってくる人々。

カトマンズに着いてからの10日間は、
空港で待ち合わせをしていた母と母の友達と過ごした。
小学校で教師をしていて、夏休みの旅行気分で来たネパール。
彼女達が最初に発した言葉は、「この国、何か変だ!」。
カトマンズの喧騒を離れ、ポカラでリゾートな時間を過ごしてる時も
その「変だ、変だ」は続いた。

男は若者ですら働かず、道で博打をしたり酒を飲んでいる。
仕事は?と聞くと返事はひとつ、「NO JOB」。
女は頭から重たい荷物を下げて歩き、田んぼでも暑い日差しの中働いている。
小さな子供が、道で草むしりをしていたかと思うと、
私立のスクールバスから制服をきた同い年の子供達が降りてくる。
国王の避暑地には鉄格子が張られ、多数の軍隊が配置されている。
「王は国民の敵ってわけか・・・」

どうやら彼女達の変だ!は気のせいではなかったらしい。
素晴らしいヒマラヤ山脈という観光地で、気候も資源も豊かなこの国が、
なぜこんなにも貧困で、子供達の瞳から輝きがうせてしまっているのか・・・。
この国について人々にリサーチを続けていたら真相が明らかになってきた。

ネパールはもともと多民族国家で(今でも60近い民族が暮らしている)、
16世紀にゴルカ民族の王が国を統一し今よりも大きくなっていこうとしてたらしい。
その頃イギリスの植民地であるインドがこの国を占領しようと戦争をしかける。
そして戦争に負けたネパールは半植民地となってしまった。
もともと大きな国であるインドと中国に挟まれてる国だし、
海にも接してなかったから貿易も出来ず、
ガソリンやほとんどの物資をインドからの輸入に頼ってる。
今でもインド国境付近の領土を毎年インドに奪われてしまっているらしい。

で、問題なのはこの国の政治。
教育を受け、この国を本当に豊かにしたいと思って勉強している若者でなく、
教育を受けてない金持ち、更には政治家の血縁しか政治家になれないという現状。
政治家によっては、銀行から融資してもらった金を使って海外で金儲けをし、
税金(13%)を払わないどころか、銀行のトップに賄賂を渡しローンすら踏み倒す。
どっかの国でも政治家は裏で同じ様な事してそうだけど、
この国でも金に心を侵食された政治家が牛耳っているらしい。

子供の教育も医療も海外からの支援が半数以上。
日本人のボランティアも数多くみかけられる。
砂漠の上にある国ならまだしも、おかしいでしょう。

女性と子供と老人の地位も低い。
今はあまり関係ないと言われてるけど、ジャート(カースト)もある。
豊かな水があるのに上水道は発達していないし、道はきたない。
政治が変われば、子供達の計り知れない才能を伸ばしてあげることだって出来るし、
ほんの少しの薬で治るはずの病気で死ななければならない人だって助かることが出来るのに。

暗いなあ、この国の未来。
こんな国があるなんて、知らなかった。

でも田舎の農村の人達は、いい顔してた。
太陽と共に生きてる人は、貧しくても心が豊かなんだなぁって
救われた気持ちになったよ。

私はなんだかんだ言っても、
この国の為に何も出来ないし何かするつもりもない。
そんな自分に直面して、ちょっと苦しいよ。
でも、本当の幸せを掴んで欲しいなぁって心から思う。
外からの力でなく、彼ら自身の力でね。



FIRST IMPRESSION OF NEPAL

この国に入ったのは7月の終わり頃。
チベットの田舎から国境までは、外国人の滞在が許可されていない地区だったから
中国人に助けられ、中国人のフリをしながら国境までたどり着いた。

国境を越えると、町の色も、人の顔も、食べているものも一変した。
さっきまで話してた言葉が通じなかった。
紙幣も変わり、金銭感覚が全くわからない。

中国やチベットでは、多少なりとも同じ顔をしていたから
自分が外国人であることをあまり認識していなかった様に思う。
ここでは、思いっきり外国人。
そしてお金を持っている日本人だと分かったら、狙われる。。。

そんな危機感をよそに、辿り着いた温泉町の人々は旅人に無関心。
レストランも閉まっていて、食にありつく為に必死にネパール語を覚えた。
‘ネパリ カナ カナ ツファンツ’(ネパールごはんが食べたい)
辺りにたむろってる老人や、洗濯してるおばちゃんなど
あたりかまわず話しかけたら色んな人がやって来て、
相談して一軒のお店を開けてくれた。

まだ夕方の6時なのに、って思って食べてたら
7時半頃、他のお店が開きだした。
この村の人達の晩御飯が遅いだけだったんだ。

でも心細くなっていた私をあったかい気持ちにさせてくれたのは、
やっぱり人の心だった。

タトパニの皆さん、どうもありがとう。



A DAY

HOTEL........500Rs;1000yen
WATER(1L)........15Rs;30yen
LUNCH..........120Rs;240yen
POSTCARD........10Rs;20yen
STAMP..............25Rs;50yen
TAXI..............150Rs;300yen
INTERNET(H).....15Rs;30yen
和定食............150Rs;300yen

TOTAL...........985Rs;1970yen