March 10, 2012

Mother



「お母さんは体育の先生」

こんな題名で作文を書いたことがある

休日に、野球や鉄棒やなわ跳びを教えてくれること
明るく元気な家での出来事や大好きな自慢のお母さんであること...

小学校3年生の授業参観の時だった


私はカギっ子で、いつも学校から帰ってくると暗くなるまで両親を待っていたのを思い出す
友達のお母さんは家にいて、何でうちにはいないんだろうと寂しくて時々泣いた
高学年になってからは友達といることが多くなって、母の存在は次第に薄れていき、
成人する頃には、家にあまりいなかった母をただの同居人と言っていた

母は私立の小学校の教師をしていて、休日はほとんど何かしらの勉強会に参加していた
日本民族舞踊研究会で習ったアイヌの舞踊、沖縄のエイサー、東北の七頭舞などを生徒と踊り、
ベトナム戦争の枯葉剤やエイズの実態をわざわざ現地に出向いて勉強しては子供に伝えていた

私はそんな母を尊敬しながらも、母としての存在を認めることが出来ず反発し、
兄が家に帰らないことも父が病気になったことも母のせいにして何度も責めてきた


そんな母もこの春、39年通った学校を退職することになり、私は母の授業を観に行くことにした

なわ跳びや鬼ごっこやリレーやアイヌの踊りをテンポ良くやる母の授業をビデオに撮りながら、
涙が出るのをずっとおさえていた

楽しそうに体育を教えている母と、元気に体を動かす子ども達
毎日ここで、こんな風に体育を教えていたんだ
この仕事は母にとって、こんなにも生きがいだったんだね

母はきっと、この場所で輝いていた

そんな時間もあと数週間で終止符を打つのか...
ずっと辞めてほしかった仕事を、続けさせてあげたいと思った

もう、母を責めるようなことを言うのはやめよう


ありがとう

感謝の気持ちが溢れ出した...

私は母の背中を見て大きくなったはずなのに情けないなぁ

ごめんね、これからはまじめに生きます

あと数週間、がんばってください

春になったらフリーになったあなたと、はじめて向き合えるのが楽しみです